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雨宮弥兵衛の作硯によせて

 
東京国立近代美術館工芸課長 白石和巳

硯、紙、墨、筆は文房四宝と言われ書道具としてなくてはならないものだ。これらはいずれも実用を基本としながら、それ以上の美的感性が強く求められている。中でも硯は、さまざまな大きさの立体的な形を彫り出したり、動物や草花など装飾文様を彫り表すことなど創作的要素が大きい。

硯といえば、古来、中国の端漢硯が有名であるが、わが国でもそれに努らない優れた硯が各地で作られている。山梨県鰍沢の雨畑硯はそうした日本の硯の代表的なひとつである。元禄三年、雨宮孫右衛門が身延山久遠寺に参詣の途中、富士川の支流早川の川原で拾った石で硯を作ったことから始まるといわれる。孫右衛門を祖とする雨官家は、代々弥兵衛を襲名して三百年以上つづき、雨端硯の硯工の家系としく現在では十二代目を数える。

ところで、大正末から昭和初期にかけく我が国の工芸は近代性を確立したと思われるが、その基本は職人から作家への意識の変革にあり、自らの感性に基づいて創作することだった。数多くの工芸団体が生まれ、創作に努力したこの時期、工芸部門を新しく設けた帝展に入選することは、作家として認められることだった。 十一代弥兵衛静軒は帝展や新文展で入選を重ね、硯を近代工芸として確かな地位に引き上げた。彼の近代作家としての生き方は当代の十二代弥兵衛、十三代弥太郎に受け継がれている。しかし、長い伝統の中に生き、硯という共通の制作を行ないながら、この三代の作品を比べてみると、それぞれの時代の美意識を如実に反映していると言えよう。十一代の作品は、波、鳥や動物、草木などといった自然を具象的に緻密に表している。そしてそこには機知に富んだ表現が見られる。それに対して十二代では装飾性はほとんど見られない。自然の描写に代わって、線による構成は立体的となる。直線や曲線など幾何学的な張りのある強い線は形そのものを構成し、厳しい形姿と素材のもつ深い味わいを生かしている。十三代の硯には、十二代と同じように線的立体構成を見せるものが多い、さらに複雑な構成をとっている。また、従来の硯のイメージから離れたオブジェ的な作品もみられる。ここにはすでに、書道具の実用品としての意味よりも見て楽しむためのものという要素が大きい。硯の新しい方向を探るものと言えよう。

いずれにしても、自然の生成した石のひとつひとつ異なった素材を、それぞれの特徴を生かして制作した雨端硯は、自然のもつ温かさと、作者の個性との融合した豊かな美の世界を与えてくれる。